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経済的収益性をもたらす限り、ジャワの農民はそれを積極的に採用したのである。ジャワの農民は、村内での慣行に縛られているが、新技術に関する情報が充分に提供され、かつその経済的収益性が大きいものである限りで、その採用をためらったりする存在ではなかった。農村全体としては共同体的慣行がある場合にも、個別農民はその慣行と抵触しない限りで個別経済合理的に行動しうるものであったことを確認しておく必要がある。そして、こういう国家主導型の農業開発が成功したことで、インドネシアの経済発展は「リカードの罠」におちいることをさけえたのである。
タイ特にチャオプラヤー・デルタに散在している農村社会は、ジャワ農村とは全く異なった「外向きで開かれた農村社会」の典型である。タイという領域の核心域であるチャオプラヤー・デルタは、長い人類史の上から見て、最後の大未利用地であったが、それが19世紀半ば以降、輸出米生産の適地として急速に開拓されていくことになり、そこに人々が自由に動き回って活動する開拓空間的な生活様式が確立されてきた。
基本的に未利用地がかなり存在し続けていたために、誰でも農地の利用が可能であり、農地所有規模の格差に起因する固定的な所得格差が形成されにくい状態にあった。デルタの上に形成された農村社会とは、世界市場と深いつながりをもつ商人的農民によって形成された、内と外の区別もほとんどない開放的農村社会であったといえる。チャオプラヤー・デルタでの経済発展は、「余剰のはけ口」型発展と名づけられている未利用資源の活用にもとづく発展の典型であった。
チャオプラヤー・デルタでの最近年次における農業発展は、19世紀後半以来と全く同様に、都市の商人が主導する米以外の商品作物の生産という農業多角化がその中心となっているのである。ひとつの代表例をあげてみると、エビの養殖がある。19世紀後半以降デルタでの稲作の中心地であったランシット地区では、稲作のために整備された水路とその水を活用して、エビの養殖が展開している。またデルタの東側の辺に位置するチャチェンサオやチョンブリでは、都市の商人と契約による養鶏が展開している。まさに契約農業の典型である。
以上のようなデルタ各地での農業発展は、国内外の変化し続ける市場情報を収集している商人と稲作農村の人々との接触によって実現されていったものであった。商人

 

 

 

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